保田の生き方

連休中に片付けちまいたい仕事があったんだが、どうしてもやる気が起きず、さわり的な部分しかできなかった。その連休も、あと数分で明ける。どうあがいても終わらせるのは無理です。とりあえず身体は机に向かっているけれど、気持ちはずいぶん前から完璧に諦めてる。


ふだん、この日記では「保田はテレビに出ないタレント」などと、冗談めかして書いているけれど、ぶっちゃけ、保田が「娘。」を卒業した時点では、はたして生き残っていけるかどうか、希望は小さいと思っていました。そんなふうな書き方をしたことは一度もなく、むしろ未来は明るい的な論調を心がけていたのは、実は、本音の部分では、けっこう悲観的だったからでもあります。
そういう悪い予測が当たらなくて、本当に良かったと思いますね。
保田がテレビに出ないのは、テレビ出演にしがみつく必要性を本人があまり感じてないからでしょう。舞台があるし、規模は小さいながらも客前で歌う機会もある。テレビの仕事以外に生き甲斐を見つけているわけです。オファを素気なく断っているとまでは思いませんが、積極的に売り込んでもいないでしょうね。
古い話をしますと、故・古今亭志ん朝という噺家がいました。ちなみに、ねじねじマフラーの中尾彬の奥さんは志ん朝の姪です。志ん朝師匠は、昭和40年代の初め頃まで、猛烈に売れっ子のテレビタレントでした。ドラマ、バラエティ、CMと、この人の顔を見ない日はないくらいでした。
ところが、ある時を境に、ぱたっとテレビから遠ざかってしまいます。数年後、再びテレビで見かけるようになったときは、高座中継で、名人として一席を語っていました。*1
本業を極めるには、別の何かを捨てなければならないという定理があるとしたら、まさにその好例です。
そういう生き方もある。
テレビに出ないことが、落ち目度の尺度のように、つい考えてしまいがちですが、芸能界とテレビはイコールではないのです。テレビは、一部でしかない。若槻千夏がもがき始めたのは、そこに気づいたからでしょう。


保田は、自分のやりたいことについて、かなり明確な思考をもってソロになったんじゃないでしょうか。世間知のある賢い人のようだから、「モーニング娘。の」という冠が外れた保田圭に、大きなブランド力はないということは自覚していたんだと思う。ソロCD出しましたと言って簡単に売れる時代ではないこともわかっていたはず。
じゃあ、応援してくれている人たちに自分の活躍を伝える手段は何がいいかと考えた末に、導き出した答えが「芝居」だったんじゃないかな。事務所が演劇に力を入れていく計画を持っていることも聞いていたかもしれないが、単にその思惑に乗せられて流されているのではないと思います。
ファンクラブ会員限定イベントに精力的なのも、まずいちばん近い距離でサポートしてくれているファンとのつながりから大事にしたいという、地道な性格がよく表れている活動ですよね。
もちろん、その活動をバックアップしているのは事務所ですから、100%自分の自由意志でそうしているのでもないでしょうけれど。

*1:正蔵こぶ平)も同じパターンで生まれ変わったが、志ん朝はタレント全盛期のときから落語もうまかった。と考えると、正蔵はよくがんばったなと思う。