MとAの話

3月はとうとう一度もエントリーを書かなかったんだな。
だいぶ前の話をする。『いいとも』に現役娘たちが出てきた。どうして彼女たちはあんなにテンパっているのか? デビューしたばかりの新人アイドルのようだった。
いちばんがっかりしたのは、自己紹介の名札を付けてきたこと。いくらグループとしての露出が減っているとはいえ、「腐っても鯛」ではないのか。君らには誇りというものがないのかと言いたい。常に初心を忘れないのは人間としては大切だが、ゼロに戻ることはない。
話術が稚拙なのに奇をてらった話をしようとしすぎるのもやめたほうがいい。見ていて痛々しいわ。道重があのキャラで当たりをとったのは、彼女にセンスがあって研究熱心でもあるからだ。
現役娘は、もう歌だけをやっていなさい。バラエティで顔を売るのは、道重のような適性のあるメンバーだけに絞るべきだ。


ここで突然、話題はAKB48に変わる。
正直な話、ぼくはいままでAKB48をイロモノ視していた。
とりあえずごっそり大量に採用して、そこからモノになりそうな子を選んでトップへ引き上げていくプロ野球のようなシステムは、芸能事務所全体であればともかく、一つのグループの中でメジャーとマイナーの格差を付けるのはどうなんだろうと思っていた。……とか言って、すぐ前でモーニング娘に向けて「適性のある子を絞ってテレビに出せ」みたいなことを書いているから矛盾するようだけれども、それは要するに適材適所ということであって、道重は歌の方では活躍の場を与えにくい代わりにバラエティに生きる場を見つけてやった事務所の方針は正しい。AKBのように、ずっとマイナーでくすぶったままやめていく子も多く出してしまう育成方法は、まあプロの世界なのだからそれくらい冷酷であってもいいのかもしれないが、いつまでも芽の出ないメンバーのファンになった人は完全に置いてきぼりで、さぞやるせないだろう。どちらが正しいとかではなく、好みだけで言うと、芸能界向きでないような子も採用してじっくり育てようとするハロプロの方式の方が好きだ。人間、何か一点は必ず輝くものがあり、それを生かせる場が人生の中できっとあると信じたいではないですか。
そういう感じで、いままでAKBにはまるで興味がなかったのだけれど、『桜の栞』にはつくづく感心したと言うしかない。
アイドルに卒業ソングを歌わせるのも、桜テーマの歌もいまの時期の恒例で、まるで陳腐だ。それを合わせ技に組み上げるのも新しさはない。しかし、合唱曲にしてしまうというアイデアはきわめて秀逸だ。これはコロンブスの卵だね。もちろん、紛れもなく女声合唱団でもあるAKBだからできたことなのだが。つんく流のハネた歌い方に慣れた耳には、『桜の栞』の素直な声の出し方がすごく新鮮。何遍聞いても飽きない。これはおそらく、学校で歌い継がれていく曲になるのではないか。
音楽関係者でも何でもないけど「やられた」と思ったし、企画者としての秋元康の感覚も、これまであまり好きではなかったのだが(ドリームキャストの自己満足的なCMキャンペンもつまらなかったし、美空ひばりに歌わせた『川の流れのように』もどこがいいのかちっともわからない)、『桜の栞』の発想には打ちのめされた。さすがなんだかんだ言っても第一線で活躍している人だな。
これが才能というものなのだろう。企画者としては好きじゃないと前述したけど、企画を生み出すノウハウみたいな話をしているのをたまに見る機会があって、そういうところは「なるほど」と勉強になる部分が多いと思っている、お手本的な人なのでもあった。もっとも、ぼくに企画をまるごとぽんと任せる会社などないから、学んでも生かせる場はないんだけどね。