みうなが大人になった日

あれっ。もしかして今日って、みうなの誕生日なのかな?
二十歳かー。ぼくの二十歳といえば、スケベなこと以外には何も考えていない大学生でしたが、みうなは早くも人生に何度もないような大決断を一回、経験しちゃったわけだね。
それは、あさみの年齢についても、同じことが言えるのだけれど。23歳になる年のぼくは、留年して2回目の4年生をやっていたと思います。さすがにスケベなことは頭の95%しか占めていなくて、残りの5%で就職についてやそのほかのいろんなことを考え始めていたが、修行のつもりでアルバイト勤務した求人広告制作会社が通勤に2時間近くかかるのに耐えられなくてねー。2ヵ月我慢したけど、ある日無断欠勤して、そのまま辞めてしまいました。


みうなには失礼な話ですが、去年の春頃から始まったラジオ日本の番組で、みうなの喋りをちゃんと聞くまでは、「なんだか暗そうな子だな」という印象しかありませんでした。
カントリーが参加した『FS5 卒業』────あさみの声質がつややかに成熟しているのに驚かされもした(のはぼくがそれまでカン娘に興味なかったからに過ぎないが)そのアルバムのアーティスト写真で、みうながあまりに自信なさげにこわばった表情をしていたからです。
みうなノート』にも、ほぼ同じ時期を思われる頃の写真が数葉使われていますが、やっぱりもう少しで泣き出しそうにも見える表情をしています。
ところが、ページをめくっていくと、顔つきが猛烈に変わっていっているのがわかって興味深い。十代の後半といえば、女の子が大人の女性へメタモルフォーゼする時期で、びっくりするくらい顔が変わるものだけど、2005年くらいになると、みうなは人格まで変化したかのように、目に力が備わっているんですよ。
みうなノート』は、女の子が変わっていくプロセスの書ですね。彼女は、まあ、カビの生えた言い方ですが、「自分探し」をしていたんだなあ。自分はナニモノなのだろうと必死に答えを探し続けてきたのでしょう。
水をぶっけるような言い方をすると、自分探しなんてムダなんだけどね。人間は絶えず変容する存在だもの。昨日の自分と今日の自分は違うのが当たり前なのだって、養老孟司さんも言ってました。みうなも、一度はわかったはずのことがまたわからなくなった、的な悩みを日記に付けている。彼女は賢い子だから、たぶんそういった人間の真理を理解していたはずと思う。だから「人生って戦いだ」という言葉が出てきたのだろうし、自分が変われることを信じられたんだね。「自分探し」などという、響きだけはかっこいい表現に押し込めてしまうことこそ、みうなに対して失礼なのかも。いや申し訳ない。
みうなは、芸能人としてはあまり陽の当たる道を歩いてきたとは言えませんが、周囲のお膳立てで、ただレールに乗せられトップの座へ運ばれる芸能生活も、見方によっては不幸です。努力が壁に跳ね返され、結果として実らなかったみうなの3年半は、自分の頭で考え、居場所をつくり出そうとがんばってきた珠玉の3年半。この、すばらしい経験を腕いっぱいに抱えて、みうなは大人になりました。