新メンバーと江戸むらさき

モーニング娘。新メンバー決定!」との謳い文句に惹かれて『ハロー!モーニング』を見てみました。すっげー久しぶり。保田が司会者を務めていたときに2〜3回見て以来かな、くらいに久しぶり。もともと熱心な視聴者ではなくてですね。一般的な中年世代と比べたら感性が柔軟なのではないかと密かに自負している(単に精神構造が未熟なだけともいわれる)ぼくでも、さすがに『ハロモニ』は見るのが恥ずかしいです。あの世界は聖域。加齢臭漂うワーキングプアのオッサンには眩しすぎる。


選ばれた子は、ぼくには少々意外でしたねえ。ぼくが「この子かな」「この子かわいいな」と思った候補者はみんな落ちてしまいました。見方が浅いんだろうね。そのへんの感覚は、モーヲタの皆さんより、そうでない一般の人々に近いと思う。要するに、目が鍛えられてないってこと。
みたいなことを考えていて、ふと、瓶詰め食品で有名な「桃屋」の広報に取材したとき聞いた話を思い出した。桃屋の創業者は「みんなが美味いというものは不味い」(ちょっと違ったかもしれないが、そんなニュアンスだったはず。なにしろかなり昔のことで、記憶が不確か)というモットーの持ち主だったそうだ。えーと、それは不味いものをつくれという意味ではなく、たぶん、看板になる味、人々の記憶に残る味は、個性がなければ生まれないのだという警句でしょう。
「海苔の佃煮」ではなくて「江戸むらさきが食べたい」と思わせること、「花らっきょう」ではなくて「桃屋の花らっきょうが食べたい」と思わせること、桃屋の「味」を明確にして、大衆の舌の上にフラッグを立てること。大衆の好む味を調べて、ものづくりの指標にするのがマーケティングだけど、それとは対極にある発想だよな。だって、味を決めるのは買い手ではなくて売り手のさじ加減一つなわけでしょ。「あんたの好みはどうでもいいが、これがおれの味だ」と言っているわけだから。大衆に迎合してない。なのに大衆から愛されるようになったのは、商品から伝わるメッセージに個性というか、“何か特別なもの”があるからだろうなあ。
モー娘が10年続いた理由も、そのあたりの話に一脈通じるものがあるような気がします。考えてみれば、ぼくが初めて『モーニングコーヒー』を聞いた瞬間にモー娘に興味を抱いたのも、「あれ、なんかちょっと、よくあるアイドル・ユニットとは違うっぽいぞ」と感じたからでした。そのとき“何か特別なもの”を、よくわからないながらも受け取っていたんだろうな。