お見合い

つんくのケジメのつけ方に、小さな感動を味わっております。
秋元康小室哲哉が、いわば商品に手をつけてしまったのとは対称的といえます。まあ、事務所の規約的にNGであるっつうこともあるに違いないけれども、自分のプロデュースする女の子たちとは、そーゆーことはしないというルールを、自分なりにつくっていたのでしょう。
漫画家の鳥山明はパチンコ台メーカーからのキャラクター使用のオファーに対し、「作品のキャラクターは血を分けたわが子。子どもにギャンブルをやらせる親はいない」といって断ったらしい。つんくの場合もそれと共通する感覚が働いているのかもしれないと思いました。親のような視点でハロプロのアイドルたちを育ててきたのでしょうから。
もっとも年齢的には、伴侶として選んだ女性は中澤裕子より年下で、保田やなっち、飯田圭織と同世代なんですけどね。
アーティストらしいなと思ったのは、「お見合いしたい」と知人に頼んでいたという点。知人に紹介されたことがきっかけで結婚に至るケースは、わりとふつうにあると思うし、そういうのを見合い結婚とはあんまり言わないと思う。ところがつんくは、一般に、日本の古い風習が、恋愛結婚できない人のやむをえない選択肢として残ったというイメージのある、ちょっとダサい感じの「お見合い」というワードを、肯定的な意味で使ってる。お見合いは、ゴールへ向かうふたりの最初の出会い、ある意味「究極の出会い」なんだよと語り始めそうな主張を感じます。
あと、ひとまわりも若い嫁さんをもらうことの照れ隠しもあるのでは。世間の価値感としては、妬みの対象にしかなりえない構図でしょ。それを「お見合い」と表現することで「若い女にモテモテってわけじゃないですよ、不器用なもんで」というニュアンスを出そうとしたのかと想像します。でも本当のお見合いじゃないから、「カジュアル」と妙な形容詞をくっつけて、「お見合いふう」「お見合いライク」くらいにしといたって感じじゃないですかね。