いよいよベスト4激突

明治時代、東京高等師範学校(筑波大学の前身に当たる)から始まった、日本サッカーの歴史。当初は手を使ってもいいルールがあるなど、サッカーというよりラグビーに近いゲームとしておこなわれていたらしいのですが、次第に研究が進められ、日本初の本格的なサッカー指導書「アッソシエーション・フットボール」を発刊するに至り、またスコットランド人の教員、デ・ハビラント氏がコーチに就任して、横浜外国人クラブとの日本サッカー史上初の“国際試合”を戦うのが1904年のことでした。
ところで、このデ・ハビラントという人は、イギリスの飛行機メーカー「デハビラント社」の創業者一族の出で、ジョーン・フォンテーン、オリビア・デ・ハビラントという二人のアカデミー賞女優の父親。にもかかわらず、しかも日本のサッカー普及に貢献したはずでありながら、あまり記録が残っていないらしいデ・ハビラントについて調査したのが、柴田勗(つとむ)札幌大学名誉教授。この柴田先生というのは何者かというと、ブラジル・サッカー研究の大家であり、山瀬功治を輩出したサッカースクールの校長であり、インドアサッカー(つまりフットサル)を初めて日本に紹介した人でもあります。また、札幌大学サッカー部の初代監督で、そのとき育てた選手の一人がアデマール・ペレイラ・マリーニョフジタ工業や日産でプレーし、フットサル日本代表監督を務め、いまは「ファンタジスタ」の監督さんをやっている、例の白髪のナイスミドルなおじさんです。
このように100余年に及ぶ日本のサッカーの歴史は、現代の「すかいらーくグループ冒険王リーグ」まですっきり一本の線でつながっている。女子アイドルフットサルは、キワモノなどではありません。傍流ではあるかもしれませんが、ちゃんと正統な流れから発したカテゴリーなんであります。
なんちて、ネットを必死で調べてまとめた、にしても拙ブログにしては珍しくマトモな講釈を垂れてみました。

いよいよお台場は、ベスト4の戦いですな。ガッタスは準決勝で宿敵カレッツァと当たることになりました。
キーパーの紺野は出場可能なのでしょうか。無理な場合は是永が代役を務める模様ですが、そうなると攻撃面の重要なオプションを一枚欠くことになりますので、いくら層の厚いガッタスといえども、苦戦を強いられそう。
先のカップ戦では是永をベンチにおいたままカレッツァに勝った実績もあるとはいえ、チームの得点王がフィールドから消えるのが痛くないといったら嘘になるはず。しかも、消えてどこへ行くのかといえば、不慣れなキーパーだもんなあ。とにかく、小島をフリーにしないことと、オフ・ザ・ボールのランニングを誠実にこなす長谷川を見失わないよう、きちんとマークすることだな、ポイントは。