「トキオ」大団円

「トキオ」が30日に最終回を迎えました。ラスト間際になってようやく時生の母親が登場しましたが、ドラマ的には最初から母親を見せないほうが、効果的なのかもしれませんね。その出会いは、原作の小説では実際にあったある大きな災害をキーとして使っていたり、ついでに過去へ行った際の時生の肉体の提供者も明かされていて、ドラマとは大きく違う部分のひとつです。はるか昔に死んだ拓実の父親が、息子と妻になる女性との縁を取り結んだ形にしたのは、原作をそのまま再現するのはNHK的にまずいという判断があったに違いありませんけれど、これはこれで悪くないと思いました。
小説は読者に見せなくていいところはいっさい省略すればいいだけですが、一方ドラマは映像表現なので、見せなくていいところもつくり込まなくてはなりません。たとえば、小説なら主人公の精神的な成長を、モノローグでもわからせることができるし、他の登場人物が「目を見張った」と書くだけでも、主人公の変化を伝えられます。しかしドラマでは、モノローグばかりに頼るわけにはいかない。目の動きだけの無言の演技だけでもわかりにくい。
文字表現と映像表現はまったく性質が違うアートなので、得意不得意、いい点悪い点もまったく異なります。このテキストでも「原作とここが違う」と比べていますが、「違うようにつくっている」あるいは「違うようにつくらざるをえない」のが当たり前なので、比較する意味がないのです。けれど、つい、やってしまいます。原作のイメージをあまりに損ねたり、過剰演出が酷い場合は、怒ってもいいと思いますけど(小説家の怒りを買って原作として使えなくなってしまう例もよくあります)。
「ドラマと小説、どっちのほうがストーリーとして好きか」という比較なら、「トキオ」の場合は、やはりサブストーリーの充実度、時生や拓実の巻き込まれた事件の「裏」を描く筆致の深みがあるぶん、小説のほうが好きと答えたいですねえ。
最終回では、エピローグ的に「登場人物のその後」を描くシーンが。ほとんど蛇足とはいえ、希望を持たせて終わりたいという「救い」にもなっています。
竹美の未来は楽しみですねー。いいギャグ(笑うところでしょ、あそこ?)でした。現実の保田圭がこうなってくれたらどんなにうれしいか。「トキオ」にあやかって、保田も翔んでほしいです。
そういえば、女の子バンドを組んでいる設定でありながら、歌うシーンが一度もなかったことに、最後になって気づきました。