羅生門@日生劇場

羅生門
17日、夜の部の公演を観てきました。

(以下のテキストは劇の内容についてもふれていますので、これから「羅生門」を見に行く予定のある方はご注意ください)

羅生門」というタイトルではありますが、「河童」「開化の殺人」「藪の中」など、芥川龍之介の作品をオムニバス的につなぎ合わせたお芝居です。もちろん「羅生門」の一場面も出てきます。
それらは、すべて河童が劇中劇として演じているという趣向。と、わかっていればなんということもない仕掛けですが、ぼくは当初なかなか飲み込めず、混乱しました。河童から人間(の役)になったかと思えば河童へ戻る、入れ替わりのめまぐるしさについていけませんでした。事前情報を得て、どうやら河童が狂言回しとして物語を引っ張っていくらしいとはぼんやりと理解していたのですが、逆にそれが妙な先入観となり、「バカの壁」をつくってしまったようです。怪しい魔力を持つ河童にさまざまな時代へ連れ回された人間が翻弄され、生きて死んでを経験する。それを楽しげに眺め、嗤っている河童。そんな話だろうと思いこんでいました。まあ、当たらずといえども遠からずなのですが、まさか河童がそれぞれの時代の人物になりきり、さまざまな役柄を演じ分けていくとは思いもよりませんでした。

ネタバレ御免とは言いつつも、ストーリーそのものを紹介するのはいくらなんでもどうかと思いますので、それはやめておきます。ただ、本来は独立したいくつもの別の話をつなげていく手法は、これはこれでおもしろい試みとは思いますけれど、いいとこどりを詰め込みすぎたお芝居であるともいえて、ちょっと無理があるかな、と感じました。
たとえば「河童」単体をモチーフに話を膨らませていってもよかったはずです。
なぜそうしなかったのか。
ぼくなりに考えたのですが、この公演には、浅丘ルリ子のデビュー50周年を祝おうという裏のコンセプトがあり、できるだけ派手な舞台にしたい意図があったのでしょう。
だからシチュエーションをめまぐるしく変え、それに応じてルリ子さんが何度もお色直しをする。ルリ子ファンに対するサービスですね。まさに「いいとこどりのぎっしり詰め合わせ」が狙いだったのではないかと思います。
ルリ子さんは第1幕第1場からずーっと出ずっぱり。実は「浅丘ルリ子ショー」なんです。

そういう芝居だからこそ、ルリ子さんを引き立ててくれる芸達者な俳優をそろえたキャスティングをしたのかな、と考えると、保田圭ヲタとしては悪い気はしない。実際、保田の演技はよかったですよ。演技の巧拙について、ぼくには語る資格がないのですが、少なくとも素人目にもわかる演技力不足みたいなものはまったく感じませんでした。これは確かです。河童4姉妹の末っ子という役どころですが、たぶん設定は子どもの河童なのでしょうね、無邪気でかわいらしいキャラクターをしっかりつくれていたと思います。
笹野高史と絡む見せ場もあるし、劇全体を通して繰り返し歌われるテーマソングをソロで歌うシーンも与えられていました。しかも音程を外したらステージが一気にしらけかねないデリケートな場面で、きっちり歌えていたばかりでなく、「保田ってこんな優しい歌い方ができるんだ……」と目を見張るほど。きれいな高音がすーっと伸びていました。

不満を言えば、期待より出番が少なかった……と、これは贅沢な感想ですけど。
最初に書いたように、ストーリーが頭にすっと入ってこなかったものですから、保田だけ夢中で見ていると完全に流れがわからなくなってしまいそうだったんで、セリフの発言者を必死で追いかけていました。だから保田も舞台に立っている場面なのに保田を見ていないことがけっこうあり、いっそう物足りなく感じたのかもしれません。
とにかく、

ナマ保田萌え。

次の舞台に立っているところを早く見たくなりましたねえ。ええ、テレビドラマなんかではなく、ぜひ劇場のお芝居を。
ついでに、あとひと言だけ触れれば、

笹野高史グッジョブ。