二十四の瞳は八面六臂の黒木瞳

二十四の瞳』ようやく見られました。
黒木瞳の張り切りぶりがちょっと凄かったです。CMまで黒木瞳だらけ。早い話、ワンマンショーですな。戦時下に「軍人は嫌い」と言ってしまう歯に衣着せぬタイプの“モダンガール”が主人公ですから、その意味では適役だったかもしれません。
保田は、成人したマスノの役で登場。ラストシーンが見せ場です。そーとークサイ演出ですが、エンドロールのかぶせ方といい、悪くはなかったと思います。
もっとも、ドラマとしての完成度はいまひとつだったかもしれない。なんだか総集編でも見ているような雰囲気があって、少しバタバタした感じになってたように思います。南方戦線?のシーンも、取って付けたような印象でしたし。
反戦の訴え方を強くしたとのことですが、「太平洋戦争の歴史的な意味」についての議論も含めて、日本の近代史を見直そうという気運が高まってきている昨今の風潮に対して、どう答えるのかという部分が、もうちょっとあってもよかったと思います。どうせ反戦色を強く出すのであればね。
確かに壺井栄は夫の壺井繁治黒島伝治佐多稲子らプロレタリア系の文人の影響を強く受けた作家ですし、『二十四の瞳』も反戦文学とされてます。しかし、軍と名の付くことはすべて反対みたいな、ごりごりの反戦プロパガンダ作品ではなくて、教師と生徒たちの温かい人間的な交流が物語の骨格です。大石先生はサヨクの国から世直しにやってきたスーパーウーマンではなく、貧困に苦しむ弱者にはアルマイトの弁当箱を贈るくらいのことしかできないし、息子に反戦思想を批判されたりもする。作者がプロレタリアート運動の理想に溺れず、現実的で公平な視点を忘れなかったから、『二十四の瞳』は多くの人の共感を得たのだと思います。瀬戸内の素朴な島に生きる人々が運命の荒波に否応なく飲み込まれていく様が悲しいのであって、戦争は一つの背景に過ぎない。反戦とか反軍とかいう前に、「どんなに不幸な境遇に陥ったとしても、希望だけは失っちゃダメなんだよ」というメッセージを読み取らなくてはならない小説だと思うのですがいかがでしょう。その面で、今回のドラマは処理を誤ったような気がしてなりません。