笑いの気

Dear 保田圭 with Loveを標榜する駄日記でありながら、安倍なつみについては長々と語っておいて、「うたばん」の保田をずいぶんあっさり流しているのは、「うたばん」と保田のアンサンブルに対してはほとんど何も言うことはないからです。
いやー、だってもう、ありがたいのひと言だもん。
保田のおもしろさを引っ張りだしてくれた番組です(その前に『ヤンタン』があるぞと言われそうだけど、関東在住だから知らない)し、卒業スペシャルはロケまでやって1時間まるまる使ってくれたし。「うたばん」だったら間違いはない、安心して見ていられます。
ぼく自身、保田のポテンシャルに注目するようになったのはこの番組からです。あの当時はモーニング娘。の熱心なファンというわけではなくて、メンバーの顔と名前がわかる程度。やっている音楽の方向性には、デビュー時から多少の関心を抱いていましたが、「おー、この歌ハモリがんばってんじゃん」とか、あと保田と市井の金管楽器演奏(←サックスは金管だっけ? リードがあるから木管か)をたまたま目にして、「なるほど、本当に音楽の好きな子が集まっているグループらしいな」くらいの認識がある程度だったんです。

ただ、「うたばん」のモーニング娘。は、結構楽しみに見ていました。ゲームに勝った飯田圭織が喜々としてソロで歌わせてもらっているのを睨んでいる、他のメンバーの苦々しい顔つきに大笑いしたり。
当時はひとり年長の中澤が虐げられる役回りでしたが、中澤はもとより飯田にしろ安倍にしろ、石橋貴明がちょっと底意地の悪いツッコミをすると半切れになって反論する。それがおもしろいっつうんで、「うたばん」は娘たちをわざと怒らせようとする方向で番組を構成していた気配がありました。

それが、虐げられる役(実は笑い担当、オチ担当のおいしいポジション)を保田が務めるようになって、大きく変化した。保田は石橋がいくらブラッシュボールを投げても動じず、打ち返してくるわけです。もちろん、自分が目立つにはこの路線しかないと決意していたんだと思う。つまり虐げられ格差をつけられる者としての覚悟ができていたから、石橋の強烈なイジリが笑いとして成立できたんですよね。あそこで保田が怒ったり切れてたらシャレで済ませられなかったわけですから。

それにしても、ルーレットの化け物を連想する大袈裟な機械でぐるぐる回すなんてバカなこと、「うたばん」ならではの企画ですね。前にも、人間ポーカーみたいなことをハロプロメンバーを使ってやってましたが、人数の多さ自体まで笑いに変換してやろうという意気込みがすごい。
そういう「うたばん」の価値観では、ハロプロのエースは保田なんですよね、言うまでもなく。保田がフレームインしてくるだけで、テレビ画面がさっと締まるような印象さえ受けます。寄席で落語を聞いているとき、前座、二ツ目の後を受けて真打が高座に上がると、客席に居ずまいを正す雰囲気が流れ、さあ笑わせてもらいましょうという期待感でざわつきますが、「うたばん」における保田の漂わせる存在感はそれに似ています。もはや、保田が写るだけでおもしろい。そこまで行っちゃってます。なんなんでしょう、あのおもしろさ。
辻希美には確実に「笑いの神」がついていますが、保田の場合は「笑いの気」をフィトンチッドのように発散しているのかもしれません。