聖子ちゃん

ぼくが初めてファンになったアイドル歌手は、何を隠そう、松田聖子です。そうです、SAYAKAのお母さんですね。
聖子ちゃんの何がよかったのかといえば、楽曲の質の高さ、これに尽きます。ルックスとか、歌手としてのライフスタイルに共感したというわけではぜんぜんなく、その意味ではモーニング娘。に対する関心の持ち方とは趣を異にします。初期のモーニング娘。がやっていた、ちょっと泥臭い歌謡曲乗りの楽曲は、ぼくとしては懐かしく素直に聞けて、それもよかったのですが、なんといってもグループとしてまとまってない感じが明らかなのに、こと歌う場面になると、メンバー各自がそれぞれ100%力を発揮して、品質の高いパフォーマンスにしようという気持ちが見える点に好感を持ったのです。実際の水準はともかくとして、プロ意識の強さはすごく伝わった。ぼくはテレビ画面の向こう側だろうと、実生活だろうと、しっかりしたプロ意識の持ち主が大好きなのです。
話を聖子ちゃんに戻すと、実はデビュー当初はほとんど興味がありませんでした。ただ、南沙織天地真理麻丘めぐみアグネス・チャンキャンディーズ、中三トリオ(桜田淳子森昌子山口百恵)、みんなリアルタイムで見てきた世代のひとりとして、審美眼的なものは養われていたのか、「いままでと、ちょっと違うのが出てきたぞ」くらいの認識はありましたけれど。
それが、松田聖子の歌を正面で受け止めようという気持ちに変わったのは、ひとつは当時勤めていた会社の同僚のせいでした。彼は以前CBSソニーの仕事をしていた関係で、聖子ちゃんが芸能界にデビューする前後の販促面のいきさつもいくらかは知る立場にあったらしく、デビュー曲の「裸足の季節」ではT社という広告代理店がバックアップしていたが、セールスが延びず、「青い珊瑚礁」から扱い代理店がH社に代わって、プロモートもうまくいき、ビッグヒットになった、とか何とかいう舞台裏情報を得意そうに披露するのでした。
広告業界に身を置く者として、代理店次第でアイドルがくすぶったり光り輝いたりするんだ、という話には、とてもアテンションを感じたのです。
もうひとつのきっかけは、何曲目のシングルか忘れましたが「風立ちぬ」でした。
この曲を境に、聖子ちゃんの歌い方がガラッと変わり、いまでも物真似される「聖子ちゃん唱法」が確立されたわけですが、それ以上にぼく的に響いたのは、大滝詠一松本隆という、元はっぴいえんどのコンビによる楽曲であることでした。
大滝詠一はご存じの通り、はっぴいえんどの解散後は趣味一辺倒だったアルバムづくりをしていたのですが、自身の立ち上げたナイアガラ・レーベルがCBSソニーの傘下に移ったのを機に、81年、突如として大衆受けするポップなナンバーを集めたアルバムを発表します。それが大ヒットした「A LONG VACATION」です。70年代の終盤から80年代にかけて、テクノブームを巻き起こしたYMOも、同じくはっぴいえんどのメンバーだった細野晴臣が、坂本龍一、高橋幸広と結成したユニットだったこともあり、それまで、ただ漫然と「売れている曲を聞くだけ」だったぼくは、日本のポップスの時系列的な流れを意識して商業音楽と接するようになっていました。
そのタイミングで出た「風立ちぬ」は、注目せざるを得ません。
聖子ちゃんのアルバムは当時の日本のポップス界をリードしていたアーティストが豪華ラインアップでよってたかって曲を書いている壮観なもので、ものすごくレベルが高かったんですよ。